朝寝て夜起きる

創作や日々のあれこれを。

イエスとノーの間

 ずっと昔に別サイトに投稿したものです。

 

 目が開く感覚があって始めて自分が横になっていることに気付いた。
 固い床のせいで肩が痛い。起き上がると背骨がボキボキと音をたてる。一体どれほど横になっていたのか、想像がつかない。
「なんだよ、ここ」
 見渡せば不思議な空間だった。まず、ドアか見当たらない。ついでに窓もない。通気口も、外と繋がるものが何もなかった。
「ヤバイだろ」
 咄嗟に思ったのは、呼吸ができるかどうかだ。人間は息が出来なくなると窒息して死んでしまう。具体的に空気中の酸素がどの程度無くなれば死んでしまうのかはわからないが、人間は生きるためには酸素が必要だ。
 そして、ここは見る限り外から酸素を取り入れれる穴がない。穴を開けようにも、この部屋には道具がない。椅子や棒状の何かがあれば、壁を壊して出ることは可能だ。でもそれらしきもの、と言うか、この部屋には何もない。
「これ、本当にヤバイだろ……」
 頬に汗が伝うのがわかる。例えば、外で眠らされてからここへ連れて来られたとしても、体を動かさずに行うのは無理だ。起きた時に背骨が音を鳴らしたのならば、少なくとも1時間以上、最悪それ以上の時間、自分はこの部屋で横になっていた事になる。
 そうすれば、この部屋の酸素は結構少なくなっているはずだ。

 早く出なければ……!

 まず、自分の服のポケットを調べてみる。運が良ければ何かあるかもしれない。もっとも、自分をここへ連れてきたヤツ"犯人"が探っているのかも知れないが。それでも、もしかしたらと思った。家の鍵があれば鍵を使って壁を掘る事ができる。そうすれば酸素が取り込めるし、声を出して助けを呼ぶことだってできるだろう。ヘヤピンでも良いだろう。鍵ほどではないが、時間をかければ壁を掘れる。
「何も、無い……」
 何も無かった。上着のポケットと内ポケット、シャツの胸ポケット、スボンの尻ポケット、全て探ってみたが何も無かった。ご丁寧に、今の御時世では普通に持っている若者の必需品であるスマートフォンすらも無い。
 こうなったら、誰かに連れて来られた説が現実味を帯びてきた。"犯人"は自分をここに誘拐、監禁している。脱出口は無いし、外との連絡手段も無い。
「でも、どうやって自分をここに?」
 連れて来た、ということはこの部屋に入れる場所があるという事だ。壁には窓とドアが無いことはわかっている。そこから自分が運び込まれてないとすると、一体どうやってここへ来たのだろう。
「調べてみよう」
 壁に近づき触ったり叩いてみたりする。材質は木の様だ。なんの木かはわからないが、とりあえずコンクリートや鉄ではない事はわかっただけでもホッとした。
 木に白い壁紙でも貼っているのだろう。爪で傷を付けてみるとその部分だけ凹んだ。壁を隅々まで見渡すが、壁には継ぎ接ぎがされた部分は見当たらなかった。どの壁も一枚壁で出来ているようだった。試しに押してみるが、1ミリも動くことはなかった。
「あと、考えられるのは……」
 壁自体が扉だったなら。部屋全体が箱のように6枚の壁で構成された部屋だとしたら?
 考えられなくもない。自分を部屋に入れる時だけ、壁を一面だけずらして、その隙間から中にはいる。出たあとは壁を閉じてしまえば、窓もドアもない部屋の完成だ。
「ありえないだろ」
 確かに考えられることだが、俺一人の為にここまでするかと考えてしまう。なんの為にこんな手の混んだことをするのか。
 言ってはなんだが、自分は誰かに殺されるほど恨まれたことは無いし、恨まれるような事をした覚えは無い。確かに、自分は聖人では無いので全くイザコザがないといえば嘘になるが、それでも、殺されるほどの恨みにはならない。
 しかも、たとえ殺されるような事だとしても、こんな手の混んだことをするだろうか。自分に恨みがあるのなら、直接自分でとどめを刺したいと思うはずだ。ましてやここには自分の姿を捉える監視カメラの存在はない。これでは自分が本当に死んだか確認できないし、死に逝く様を見ることすらできない。
「自分を殺すのが目的じゃない」
「そうですね」
「え!!」
 驚いた、なんてものじゃない。体中に電流が走ったのかと思った。今まで自分一人だと思っていたのに、いきなり声が聞こえたのだ。
 反射的に後ろを振り返れば見知った顔があった。
珠洲さん!?」
「はい、そうです」
「自分幻覚とか見てるんですか?」
「貴方がどういうふうに私を認識しているのかはわかりませんが、少なくとも私は存在していますよ」
 源川珠洲、自分とはとても一言では表せられない関係だ。不適切な意味ではなく、本当になんて言って表したら良いのか分からないのだ。友達ではなければ親友でもないし、ましてや恋人でもない。趣味や趣向も合わないし、そもそも文字通り住む世界が違う。
 それでも、いっときは関わり合った自分と彼女だが……。
 そもそも自分、あんまり好かれてない気がするんだよな…………。
 この場にきてくれたことはありがたいと思うが、過去には自分は彼女に害を与えた経験がある。あの時は仕方が無かったとはいえ、比佐渚さんの【時間換算:過去を殺して君を救う(ピリオド・F )】が無ければと思うと背筋が凍りつく。
 いや、そんな事より、何故、彼女が此処に?部屋の中を見回した時は居なかったはずだ。
「あの」
「はい?」
「この部屋を作ったのは杜若(カキツバタ)さんですので安心してください。身の安全は保証されています」
「杜若さん……?」
「はい。睡蓮寺さんの部下で空間生成に特化した能力をお持ちの方です。正確には、睡蓮寺さんの指示で杜若さんがお作りになった、という方が適切ですね」
「あの、詳しいことをお聞きしても?」
「私はあくまで協力しただけですので込み入った事情は深く聞き及んでいませんが、えっと、なんて言えばいいのか……」
 珍しく言い淀む珠洲さん。普段は凛と澄ましている顔が、今では僅かに歪んでいる。
「睡蓮寺さんが嘉藤さんと糸川先輩の仲を良くしようと考えた結果、SNSにある『〇〇しないと出られない部屋』を作ろうと思い至った様で、唯一空間生成ができる杜若さんに『ハグをしないと出られない部屋』を作らせたようなのです。そして、部屋の安全性とハグをすれば出れるのかの動作テストのために私と静空さんが入った次第です」
「あの、俺入った記憶も、杜若さんっていう人とあった記憶もないんですが……」
「それは、私が勝手に決めた事なので」
「勝手に?」
「……興味があったのです」
「興味?」
 杜若さんの能力が空間生成だと言うのなら、この部屋自体、杜若さんの能力でできていると言う事だ。空間生成自体、結構レアな部類に入る能力だ。他の能力とは違い、訓練を積んだとしても能力の殺傷性は上がらない。必要なのは想像力と細かな条件指定(プログラミング)のみ。
 珠洲さんの言う、興味と言うのはこの事なのか。
「自分なら大丈夫ですよ。さっさと終わらせましょう!」
 珍しい珠洲さんのワガママだ。結果的には勝手に仕組まれたことだが、身の危険が無いとわかった以上、焦る必要はない。珠洲さんに協力するとしよう。
「でも、こういう事には手順があると聞き及んだのですが……」
「はい?」
「この本には、密室に閉じ込められた二人は熱い抱擁を交わすと」
「ちょ、一体なんの話ですか!?」
 珠洲さんが出したのは1冊の少女漫画だ。ピンクと黄色に彩色されたそれは、普段あまり漫画を読まない自分にとっては刺激の強いものだ。ご丁寧に、帯には『映画化決定!話題のドキ×2ピュアストーリー!!』とテンションの狂ったフォントで書かれている。
「あの、珠洲さんの持ってるそれは?」
「あと数日で公開される映画の原作です。朝霧さんに一緒に見ようと誘われていまして、その予習にと買いました」
「そう、なんですか……」
「朝霧さんが言うには、原作3巻まで読めば映画の範囲はだいたい把握できるそうです」
「はぁ……」
「2巻目にある主人公の瑠璃が意中の相手と共に体育館に閉じ込められた際の心情がどうしても理解できなかったのです」
「つまりは、漫画を理解するのに丁度いい相手が自分だったと?」
「はい」
 嬉しさ半分、恥ずかしさ半分、と言ったところだろうか。
 珠洲さんに協力できるのは嬉しいが、まさか漫画の再現だったとは。
「あの、突然呼ばれるのは混乱するので、次からは声掛けてくださいね」
「……良いのですか?」
「はい。さすがにいきなりだとびっくりするので」
「ありがとうございます。では早速抱擁しましょう」
 珠洲さんは両腕を広げると「どうぞ」と言う。正直その姿はとても可愛かったが叫びたいのを押し殺しながら自分も抱きつく。珠洲さんの頭を自分の鳩尾あたりで感じながら数秒間立ち続けると、ガチャリと鍵が開く音が聞こえた。
「どうやら、開いたようですね」
 音が聞こえた方向を見ると、そこには扉があった。茶色い木製の扉で、金の取っ手がついている。
「これが、杜若さんの能力なんですね」
「その様です。では、出ましょうか」
 あれ、さっき、珠洲さん、なんて言った……?

 主人公の瑠璃の意中の相手に丁度いいのが自分?

 え、それってつまり。
「どういう事ですか、珠洲さん!?」
 前を歩く彼女は聞こえないふりをして、さっさと扉を開けた。外には日本庭園、おそらく多前門先輩の庭だ。珠洲さんは振り返ると、自分にだけ分かる程度に微笑む。
「誰でも良かった訳ではありませんよ」




題名はお借りしました。→【累卵】http://nanos.jp/planetstar/(敬称略)