朝寝て夜起きる

創作や日々のあれこれを。

角なしの王と人間(仮)

 ずっと昔に書いた内容です。元は別サイトに書いていましたがここに引っ越しました。

 
1.暗闇の中へ

目を閉じても感じることはできる。

耳元で風の音がする。近くでは草の香りもする。左半身には太陽の柔らかな日差し。右半身には地面のデコボコ。自分はきっと横になっているのだろう。草原か野原のどこか平らで舗装されていない場所で眠っていたんだ。
目を開ける。息を吸う。瞬きをする。一つ一つの動作をゆっくりと行う。寝起きだったということもあるが、一番は目を開けた先に自分の知らない風景が広がっていたからだ。
森であることには変わりないが、葉や枝が黒一色な草や樹木。ほかに目を向ければ、太陽は二つあるし、空を飛ぶ鳥は首が二つある。風は確かに吹いているが遠くに見える山々には竜巻のようなとぐろを巻いた雲が数本見える。
「(ドコだここ…)」
頭の中にはそればかりが浮かぶ。明らかに自分の知る風景とは違っていた。青々しい草はどこにもなく、黒一色の草は金色の花を咲かせていた。試しに花弁に触ってみると、光り輝くそれは指先にひやりとした感覚を与える。つるつるとした表面はとても滑らかで、てっきり金のように硬いのかと思っていたが植物のような瑞々しさがあった。
「(ヘンな植物だ)」
取りあえず彼は草の上に座り直した。両膝を胸の前に持っていき、両腕で抑え、顎をその上に乗せ、そのままぼーっと遠くの景色を見る。自分には何もできないと思っていたし、動けなかった。知らない場所に見たこともない動植物。どれが危険なのかわからない。さっき触った花だって、もしかしたら毒があるかもしれない。そう思うと彼はこの場所を離れることができなかった。
「(天気は良いけど、食べ物はどうしよう)」
どのくらいそうしていたのかはわからないが、彼は重い腰を上げて歩き始めた。彼の頭の上の太陽は二つともあまり動いてはいない。
行く当てはないが適当に方角を決めて進んだ。黙って座っているだけでも腹は空く。直ぐに、というわけではないが動かないと食べ物は見つけられない。見つけられなかったら飢えて死んでしまう。

サクサクと森の中を進んでいく。進むにつれて木が生い茂り、葉が空を隠すので辺りは暗くなっていった。周りの木々が黒々としているので余計に暗く感じる。まるで自分から奈落へ進んでいるような。進む度に恐怖心が大きくなる。
もしかしたら自分は死んでしまって、ここは天国と地獄の狭間なのではないか。そして今自分が進んでいるのは地獄の方でこのまま進んでしまうと永久に陽のある場所に戻れないのではと考えてしまう。
すべてはとてつもない空想なのだが。

やがて辺りが完全に暗くなってしまった。足も痛くなり、喉が渇きを訴える。腹の空きも無視できない。
「(とりあえず、水を見つけないと…)」
この世界に自分が飲める水が存在するのかは疑問だが、喉の渇きは限界に近かった。聞こえるのはひゅうひゅうと鳴る自分の呼吸音と遠くで啼く聞きなれない生き物の声だけだった。
暗闇の中では目が頼りにならず、鼻は草の青い匂いしか感じられず、耳だって自分の心臓が鼓膜の隣にあるようだ。彼には足の下、靴底を挟んで感じられる大地の感覚だけが頼りだった。
いつしか彼は走っていた。始めは歩きだったのにもかかわらず。彼の頭には体力の温存などという言葉はなかった。ただひたすら走り続ける逃亡者の姿だった。
彼を追うものは誰もいないというのに。

 

 

2.教えてください

走って、はしって、ハシッテ、止まる。
体力が尽きかけ、彼にはもう足をあげる気力すらもなくなっていた。どこを見ても黒一色で他の色が見えない。せめて喉の渇きを潤すものさえ見つかれば何とかなるかもしれないが、長い間それらしいものを見ていない彼にとっては探すだけ無駄のような気がしてならなかった。これならばあの目が覚めた場所で誰かが通るまでじっとして居れば良かったとさえ思う。 こんな暗く何もないような場所では誰も来やしないだろう。それなのにこんな深いところに来てしまった自分はとんでもない大馬鹿者だ。
初めて来た場所に舞い上がっていた。見たこともない草花に興味が湧いて、子供のような好奇心で、現実としてとらえることができなかった。夢の中で、目が覚めろと思えばいつでも戻れるものだと思ってた。死ぬことも傷つくこともないような簡単で生易しい世界。全部が全部造り物だと思っていた。
でもそれは既に過去のことで、今になってはどうしようも出来ない。地べたに横たわって息をするだけの存在に成り下がってしまったから。
この後の結末だって簡単に絞られる。さっきから遠くで啼いてるケモノに食われるか、このまま独り死ぬかだ。殺されるか死ぬかの違い。それだけだった。
「死ぬのですか?」
どこからか声が聞こえた。だけどもこの黒一色の中ではどこから聞こえたのはわからない。それに、もう自棄になっていた。多分これは幻聴だ。ここに来る前にはそんなものは聞いたことはなかったが、目も耳も鼻も役に立たないここでは頭がおかしくなっても変ではないだろう。
「…ぁ…んんっ、…わかんないよ」
少しの唾液を飲んで喉の渇きをおさめる。でも焼け石に水で、さらに喉が渇くだけだったがこれでなんとか話せるようになった。それでも擦れた聞こえるか聞こえないかの僅かな声だったが。
「わからないのですか?自分のことなのに?」
変わった幻聴だ。聞いたことのない声音だったし、不思議と心を落ち着かせるような声。幻というのは脳の誤作動だと思ってたのに、これじゃあまるで人と話しているようだ。
「自分のことなんて、何にも分かんないよ…」
どうせこれから死ぬのだ。幻覚だろうと幻聴だろうと死ぬまでの暇潰しになれば万々歳だ。この世界に来てから誰かと会話、そもそも誰かの声すら聞いていなかったのだ。
「確かにそうですね。私も私のことがわかりません」
声は残念そうな声を出すと、でも。と言って続けた。
「私は私のことよりもあなたのことを知りたいですよ」
その声は底抜けに明るかった。暗いこの場所には不釣り合いな生き生きとした声。自分は死にそうなのになんでこの声の主はこんな声を出せるのか気になった。
「喉が渇いた…眠い……」
それくらいしか言えなかった。
足の痛みはほぐれたが力を入れれない。ずっと飲まず食わずで走ったのだ。きっとまた歩けるようになってもまたすぐに痛くなるだろう。今度は確実に今よりも早く、そして酷く痛くなる。それに、疲れだってある。休まずにここまで来たんだ。ここに来てからまだ一睡もしていない。
喉の渇き、足の痛み、空腹、睡魔。これじゃあ絶対歩くことなんてできやしない。せめて、最後は
「きみ、なまえ……何………?」

「――――――――――」
声の主は笑ったような気がした。

 

 

3.聞けなかったこと

暗い闇の中。その中で彼は浮いていた。水に浮かぶかのように揺蕩たゆたう彼は今の状況を冷静に見ていた。
あの後本当に死んでしまったみたいだ。死ぬのはとても苦しいものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。眠るように意識を失っていき、気が付いたらここにいる。きっとここはあの世とこの世の狭間なんだろう。今度こそ本当に。草木どころか地面すらないこの場所が本当の死後の世界。
「(地獄とか天国とかに直行するかと思ったけどそうでもないのか)」
宗教の中でもゾロアスター教が起源である、死んだ後は自動的に天国や地獄に行く、もしくは仏教のように審判によって輪廻転生によって生まれ変われるというのがある。余談だが、宗教的に死んだらそこでお終い、無になると考えるのは極少数らしい。特に日本人に多いらしく、無宗教や色々な宗教が混在しているためかもしれない。閑話休題。いまのところ、どうやら死後の世界はゾロアスター教も仏教も正しくは無かったようだ。そのどちらともないというなら、ここはいったいどこなのだろう。
「(もしかしたら、死後の世界って箱みたいなのかな)」
死んだら個人の箱のような場所に閉じ込められて、自身のこれまでの行いを振り替えさせられる。強制されるかのようだが、それ以外にやることがない虚構の世界。退屈で気が狂いそうになる。過去にしがみつくことでしかそれらを紛らわせれないなんて…。
そう考えるとまだ悪夢の続きの中にいるようだった。
「(…あの子は誰だったんだろう)」
最後の最期まで名前の知らない誰かが傍にいてくれた。今では不思議に思うが、あの時はとても心強かった。死に逝く時だというのに妙な安心感すらあった。
「(結局、誰かはわかんなかったけど…)」
あの場で意識を手放してしまったことが悔やまれて仕方がなかった。知りたいことが知れなかった。その感覚が彼の胸の中に重たい重りを残していた。
「(………?)」
不意に後ろから子供のすすり泣く声が聞こえた。
振り返り後ろを確認すると着物を着た少女がいた。後姿しか見えないが髪の毛は日本人には見られない真っ赤な色をして、頭には和式の結婚式で花嫁がつける角隠しを被っている。着物といっても十二単のように重くて動きにくそうな格好だ。一目見ただけでもわかるが、服は細部まで細かい装飾がされていてとても煌びやかだ。髪の毛だってシャンプーのコマーシャルに出てくるモデルみたいにツヤツヤとしている。きっと上流階級の子供だろう。
「君、なんで泣いてるの?」
単なる興味本位で声をかけた。しばらくぶりに見る人だったし、泣いている子を放っておけるほど彼は物事に無関心でないつもりだった。少しばかり少女の恰好はおかしいが。
「ねぇ、聞いてるの?」
少女は尚も泣いていた。まるで彼の声が聞こえていないかのように。無視をされたと思った彼は少しムッとしながらまた質問をした。
「君ってさっきの子?」
少し期待のこもった声で尋ねる。声音からして、目の前の少女と死ぬ前に聞いた声はほぼ同年代だ。もしかしたら、もしかするのかもしれなかった。
「君ぐらいの子に話しかけられたことがあるんだ。もしかしたら君かもしれないから聞いたんだ」
「………」
「違うなら違うって言ってもいいよ。俺の勘違いかもしれないしさ!」
「………」
「俺、死んだかもしれないからここにいるんだけど、君は何でここにいるの?」
「………」
「どうして泣いてるの?俺に話してくれない?」

『……わたし、こんなのヤだよ』

「え?」
こうして彼の短い夢は終わった。