無題①
別サイトに投稿していましたが、統合のためここに置いています。そのままコピペしていますので読みにくい部分があります。
荒城静空と言う名の《凡人》は源川珠洲と言う名の《天才》を殺した。
「数学Ⅱは17点、Bは43点……地理は44点、英語51点か」
放課後、教室に一人でいる少年。
他のクラスメイトは帰ったのかはたまた部活動に行ってしまったのか、普段の賑やかさは見る影なんてものはない。
少年は残された、と言えば少しだけ違うが、兎に角自分の机に着き、本日渡された期末テストの回答用紙たちと睨めっ子をして居た。
当然点数は変わりはしないが、ただ回答用紙を見ていただけ。
少年、荒城静空はこの私立宵よい月つき学園に通う高校二年生だ。
両親兄弟共に無く、絶賛一人暮らし中のだだの男子高校生。
よく話すクラスメイトはいるがつるむ訳では無く、ただ話しやすく余りお互いに踏み込むようなことをしないから話しているだけ。
だからなのか、少年の携帯電話にはクラスメイトの電話番号は一切無かった。
精々、入って居るのは担任や学校、行きつけの本屋の電話番号ぐらいで、自身のアドレスだってメールをくれる相手も、送る相手もいないので初期のままだ。
多分、この携帯電話が壊れるまでずっとこのままなのであろう。
クラスの中でも先程彼が言った点数のように、お世辞でも頭が良いとは言えない。
運動だって、50メートル走で10秒切るか切らないかなので、得意というわけではない。
特技だってパッとしたものは持っていない。
つまりは小説などにいる、少年Aのような存在だ。
高校2年の秋も終わり頃、俺は漠然と生きていた。
友情関係や人間関係を特別結ばなかったし、進路やこれからの事について将来どうありたいとか考えてもいない。
とりあえず、時の流れに身を任せて、時間を貪り消費するだけの毎日を送っていた。
そんな日常に飽きることはなく、また、楽しいと思うこともないのは当然と言ったら当然だ。
周りに流されるままに日々を重ねていた俺は明らかに何か足りないような気がしていたが、何が足りないのかまではわからないし、補う気力も湧かなかった。
やる気かもしれない、それとも青春か。
もしかしたら……。
俺の脳内にある少女の顔が思い浮かぶ。
「帰ろっと」
打ち消すように手に持っていた回答用紙を鞄に突っ込んだ。
教科書や弁当箱に行く手を阻まれたのか皺ひとつ無い綺麗な長方形が歪な多角形になった。
それを一瞥したが直すほどの欲求は生まれてこなかったし、直しても皺は消えないのでどうでも良いとさえ思った。
それどころかその形が今の自分を表しているかのようだったので心の奥のほうがジクジクと焦がされるような感じになった。
兎に角何が何でも足早にその場から立ち去りたっかた。
席から立ち、教卓まで歩いている時、後ろから誰かに見られている気がした。
いや、誰かではないな。
あれは俺だ。
俺がいた席に座り、ニタニタとした汚い笑みを浮かべて逃げ帰る俺を嘲笑って居やがる瓜二つの俺だ。
現在進行形で逃げている俺は、全くそのとおりだ、と思った。
未来から逃げて過去からも逃げて現在からも逃げて、あまつさえ自分の心からも逃げている。
常に逃げ道を探してはそこに逃げ込んで、必ずやってくる恐怖を先送りにする。
根性なしの負け犬逃げ犬生活。
犬のほうなら追い詰められたら反撃しそうだから、俺よりも犬のほうがまだマシだな。
じゃあ、犬になってみるか。
教室を出る瞬間、逃げ犬の強がりのようにドアに一番近い席、確か多原(♂)だっけ?その机の脚を蹴っ飛ばしてやった。
教室内の不動の空気が大きな音と共に拡散して響いた。
笑っていた俺は一瞬だけ真顔になると不満げに笑い出していなくなったので俺はそれを尻目に少し満たされながら教室を出た。
「「あ」」
視線があった。
声が重なった。
そして時が止まった。
この気まずい時間を過ごす間、別の話をしようか。
何てことない、世界の話だ。
例として、サイコロを使うとしよう。
この俺がいる世界がサイコロの一面だとしたら、他の面はどうなっているのだろうか考えたことはあるだろうか。
俺は度々考えたことがある。
星を見る感覚のように、ふと何の気も無しにだ。
この世界が1の目だとしたら、他の目は此処とは違う世界のはずだ。
同じサイコロのプラスチック部分を共有しているだけであって、出る目は6つともそれぞれバラバラ。
それと同じように、俺たちのような意志を持ち生活している人がいて何かを共有はしているけれど、その他は違う。
もしかしたら人に羽が生えていたり空想上の生物が其処彼処に実在している世界なのかもしれない。
まぁ、実際そうだったんだけど。
今俺の目の前にいる女生徒、多た前ぜん門もん愼しん夜やは紛れもなく他の目から来た《異よ世そ界も人の》だ。
「もう下校時間はとっくに過ぎているぞ。さっさと帰れ」
気が付いたのか一気に冷静さを取り戻した多前門先輩は男らしさ溢れる口調で俺に注意した。
開け放たれた窓からは秋独特の肌寒い風が入り込んでいる。
それも相まってか、先輩という目上の人に対して酷く落ち着いて接している自分が居た。
「多前門先輩はどうしたんですか?」
率直な疑問を投げ掛けてみた。
多前門先輩は眉を潜めると俺に向き合い口を開いた。
「今月の見回り当番になったのだが、先程大きな物音がしたのでな急いで駆け付けて来たのだ」
あー、その物音は、俺がさっき蹴った多原の机の音なのは間違い無いな。
「あぁ、それ、俺が起てた音です。さっき居眠りしてたら蹴っちゃって……」
とっさに嘘を吐ついた。
「用事がないのに残っているのは感心しないな」
先輩は粗か様に不機嫌になった。
眼が細くなり、口調に呆れが混じり、腕組をして仁王立ちになる。
威圧感が半端では無い。
「あ、でも、今帰ろうとしていました」
取り繕うようにそう言った。
現に音を起ててから直ぐに教室を出て帰ろうとしたし。
強あながち間違ってはいない。
「その様だな。今私と衝突しそうになるくらい勢いよく出てきていたことだし」
嫌味を含ませずに話すのはある意味凄いと思うな。
普通こんな台詞聞いたら誰でも嫌味だと思うよ。
と、独り頭の中で思った。
「そうですね」
「ハハハ」と、口からは乾いた愛想笑いが漏れた。
正直言うと、先輩と会話するのは気不味い。
お互い名前を知ってはいるが言葉を交わしたことはあまり無いし、何時いつもは周りに誰かいた。
だからこうして二人きりになるのは一応初めてだったりする。
「丁度良い。独りで回るのに正直飽きてきたところだ。生徒玄関まで行く間、話し相手になるか」
その言い方、疑問符がついていないから俺には拒否権は無さそうだ。
先輩は有無を言わさず歩き始めた。
長い赤毛が窓から入り込んで来た風に煽られて一際大きく舞う。
それをぼんやり綺麗だなと思いながら、俺はその後ろを仕方無くついて行った。
「もう直ぐ3学期だな」
「その前に冬休みがありますけど」
冬休みになったら何しよう。
雪かきして炬こ燵たつに入って寝るのかな。
あ、でも俺の家炬燵無いや。
そんなことを頭の中で悶々と考えている俺は横から注がれる先輩の視線に気が付かなかった。
その視線に気づいた時、先輩はもう前を向いていた。
「お前は大丈夫そうだな」
「え、何がですか?」
先輩、疑問符はこうやって使うんですよ。
大丈夫そうだなって一体何の事だ。
まさか俺の成績についてか?
「あの男に呼ばれて《殺人者》になったお前が心配なんだよ」
先輩は俺より前に出ると後ろを振り向きながら言った。
そこで俺の呼吸は止まった。
頬肉が痙攣するし、鼓膜が膨張して周囲の音が聞き取り辛い。
背中から何かが這いずり回る感触がするし、終いには眼球自体も仕事をサボっているのか目の前の先輩がボヤけて見える。
俺の五感ちゃんと仕事しろよ。
先輩が俺の心配を?
イヤイヤそうじゃない。
考えるべきことはそこじゃない。
じゃあ何処を?
俺は何もない《凡人》なんだぞ?
知ってるよ。
そんな《凡人》ごときが《殺人者》な訳無い。
違う。
どうして?
違うんだよ。
何が違うんだ?
確かに俺は彼女を殺した。
それであってる。
間違いない。
じゃあ何が違うんだ?
あれのこと?
あれって何?
あれはこれ。
それはどれなの?
違うってば。
黙れ。
うるさい。
俺は、彼女を殺した。
だから俺は《殺人者》になったんだ。
これで合ってんだよこの、人殺し。
脳内にフラッシュバックする映像がある。
夕暮れ時の坂道。
忘れもしない2年前、俺が中学3年生進路も決まって今よりも充実してた時。
呼ばれた、突然。
それで言われた。
「殺せ」
って。
だから殺した。
本当は嫌だったけど、殺さなくちゃいけないから。
え、違う、駄目だ。
これ以上は考えるな。
やめろ。
止めろ。
耳を塞げ。
口を閉じろ。
何も見るな!
頭の中には次々と映像が浮かび上がりは消える。
彼女との楽しい思い出、嬉しかったこと、楽しかったこと、頑張ったこと、それから、彼女を殺す瞬間も俺は鮮明に―――――。
「先輩、」
「……」
先輩は答えない。
それを了承と受け取った俺は、また口を開いた。
「これ以上はその話をしないでください」
自分でも間抜けな声だなと思った。
分かりやすく震えていたし、それに全身から止めどなく冷たい汗が流れ落ちてる。
正面に居る先輩が大きな壁に見えた。
「何な故ぜだ」
先輩は依然として俺の前に立ち続けている。
その真っ直ぐな視線が俺を逃がさないかの様に俺の瞳に注がれる。
蛇に睨まれた蛙まではいかないが、自主的に動きが制限される。
それでも不思議なのは、先輩は俺に対して一片も責めるような事をしていない。
「荒城、辛いのはお前だけではないんだぞ」
先輩が何を言いたいのかわからなかった。
考えれなかったし、動くことさえできなかった。
先輩の言葉はまるで、俺を慰めるよりは勇気づけるかのように感じる。
でも、それは嫌だった。
どうしても嫌だ。
「私はあの時に死んだ」
俺は息を飲んだ。
「いい加減にしてくださいよ、先輩」
自分でも驚くくらい低くて不気味な声が出ていると思う。
喉の奥から地鳴りのように響く声を俺は知っている。
確か、捨て猫をいたぶって遊んでいたクラスのガキ大将みたいな奴を相手にしたときだ。
あの時は本当にキレた。
でも、今回は違う。
今回のこの声は自分の為に使うんだ。
自分を守るためのエゴに。
「私は《殺人者》にはならなかったが、あの世界にはもう居れない。一瞬でも大切な人を殺そうと思ってしまったからな。あの時に、多前門愼夜という存在は死んだ。それにこっちの世界に来て人間の身体にはなったが、皮肉なことに老いる事は無いし生来からの病は治らず仕舞いのこの有り様だ」
先輩の過去は初めて聞いた。
元々自分のことをひけらかす様な人では無いが、ここまで聞いたのは初めてだ。
「先輩は何で殺さなかったんですか?そうなることがわかっていたのに」
不思議だった。
さっきまで思い出したくないが為に先輩に対して拒絶するような事を吐いたのに、今は先輩の思いが知りたくなっていた。
先輩の過去も突き詰めれば、俺の過去と関係が無い訳では無いのに。
我ながら、身勝手な奴だと思った。
先輩は面白がるように、そして悲しむように笑うと、俺に顔が見えないように俯いた。
前髪で表情は窺うかがい知れないが先輩はきっとその離れたくなかった人を思い浮かべているのかもしれない。
友人にしろ、家族にしろ、恋人にしろ。
「確かに嫌だったさ。でも、彼あい奴つを殺してまで生きていくのは私の本望ではない。私が本当に願っていたのは強くなる事ではなく、彼奴とずっと一緒に生き続ける事だ。その思いは揺らぎはしたが変わらない」
顔をあげた先輩は底抜けに明るかった。
多少、空元気のようにも見えたのは多分気のせいだ。
「それに何い時つか彼奴よりも素晴らしい奴が出て来るはずだ」
先輩は自信満々に言うと踵きびすを返した。
でも、先輩の言う『何時か』が明日なのか明後日、それとも100年後なのかはわからない。
まぁ、不老不死になったんだからそれくらいは待てるだろう。
果報は寝て待て、まぁ、結婚式には招待されたいからせめて俺が生きているうちに、彼奴さんよりも我こそは素晴らしいと思う方は名乗り出て欲しいものだ。
「荒城」
先輩は俺を呼んだ。
呼ばれた俺は先輩に眼球のピントを合わせて見るが先輩は俺を見てはいなかった。
その代わり、どこか遠くを見ていた。
「私、今年が終わったら退学するつもりだ」
「え…?」
唐突な告白だった。
意味が分からないというよりは、何故俺に言うのかが分からない。
「決めたんだ。来年になったら卒業する前に自主退学する。そして、本格的に家を継ごうと思う」
先輩の家は確か、この辺りを古くから仕切っていた名家だ。
クラスメイトの神辺(♀)が莫迦デカい声で話して居たので覚えている。
何でも、鎌倉時代から明治時代後半までこの町全体が多前門家の私有地だったらしく、今でも其処までは無いにしろこの町にある鬼き門もん山やまが丸々多前門家の私有地みたいだ。
何しろ聞いただけの話なので、実際に鬼門山へは行った事は無い。
そもそも俺の家からじゃ学校を挟んで丁度反対側にあるから遠すぎて行く気が起きない。
他にも、大手企業の裏を辿れば、殆ほとんどが多前門家の分家とか融資先とか、何かしらの関係があるみたいだ。
これもあくまで噂の話しだ。
取りあえず言える事は、多前門家は超お金持ちということだ。
「もう、決めた。先生にも今日言ってきたし、多少手間取って遅れるかもしれないが、それでも卒業する前に居なくなる」
先輩は如何にも腹を括った様に言った。
心の底から決めたことみたいだ。
そもそも先輩の人生だ。
俺如ごときがとやかく言って良い事じゃ無いのは重々承知している。
「先輩、居なくなるときは俺に一言いってくださいよ」
そう念を押すように言うと先輩は「あぁ」と力強く応えた。
そこで先輩との会話は終了した。
その後はお互い一言も話さずに歩いた。
とても話せるような状況じゃ無かったし、何を話せばいいのかわからなかった。
ただ二人して、既に太陽が沈んで薄暗くなってしまった校舎の中を歩いた。
足元を照らすものは何も無くて、ただ先輩の後ろをついて行くだけだった。
玄関に着けば俺は先輩に声を発さずに一礼だけをしてそのまま校舎を出た。
それを見送れば、先輩は俺の背中に向かい「また明日な」と言ってまた見回りに行ってしまった。
暫く歩くと何と無く後ろ髪を引かれる気がして歩くのを止めた。
振り返れば2階の廊下に先輩らしき人影が見えた。
未来へと進もうとする先輩と、未来から逃げている俺。
二人に優劣を着けるとすれば間違いなく先輩が優だ。
それでも先輩が卒業するまで後3ヶ月間、劣が優に敵うためにはどうすればいいのか。
俺にはまだ分からない。
そんな、俺らしくない考えに駆られたのは、多分窓からの秋の風が夏の撫でつける様な風を運んで来たからだと思う。
その風はムカつくぐらいあの日にそっくりだった。
だからなのかな。
何でここで待っているのさ、珠洲さん。
◆◇◆◇
「珠洲さん、何で」
生きているんですか、と聞こうと思ったがどうやら言葉は喉を通過することはなかったらしい。
一言で言うなら、俺は珠洲さんに吹き飛ばされた。
電灯をバックにして少し怖いなぁ、と場違いなことを考えていたからかも。
それとも、珠洲さんなら殺したことを許してくれるかもしれないと甘えたことを思っていたからなのかも知れないけど。
どちらにしろ珠洲さんに吹っ飛ばされた俺は通りに人目が居ない事を良いことに、地面に大の字で寝そべっていた。
身体中の神経と云う神経が痛みをひっきりなしに脳に伝えて来るのでとてもじゃないが起き上がれない。
状況が状況なら「大地の鼓動を感じる」とか言って、再開を祝したファーストコンタクトならぬファーストスライディングと言う名の駄々滑りを披露するかもしれない。
でも今は口の中から止めど無く流れて来るので無理だな。
こう言うのは心の余裕があってこそだから、今のこの状態ではやれないし出来ない。
てか、第2撃が来ない。
それを良い事に俺は傷の痛みに慣れるまで此処ここに転がっていよう。
珠洲さん、どうして俺の前に出て来たのかな。
もしかして幽霊だったりするのかな。
2年越しの再会か、はたまた2年越しの復讐、どちらにせよ今この場に珠洲さんが居る事には変わり無い。
どうせなら、珠洲さんが俺を殺して天国に、俺を地獄に行かせてください。
そんなことをぐだぐだと考えながらようやく痛みに慣れて立ち上がる。
あの日と姿形の変わらない珠洲さんが俺の顔を凝視している。
何故か照れるな。
珠洲さんを見るのが久し振りすぎて顔に熱が集中するのがわかる。
一緒に居た時は、隣に居ただけで目なんて合わせなかったし向き合うことすらしなかったからな。
暫くそのままの空気が辺りを包んだ。
その間ずっと俺は珠洲さんの視線にさらされ続けた。
珠洲さん、流石にこれはきついです。
今すぐこの空気を止めて欲しい。
それか今すぐ俺を殺してほしい。
呼吸音に注意を払わなければならない程辺りは静かだし、視線をさ迷わせることすら躊躇われる程俺を見ている。
この空気に毒素でも混じっているのではないかと思うくらいに息苦しいし変な汗が出てくる。
珠洲さんが俺を吹っ飛ばしてから大体5分ぐらいは経った。
「荒城さん…」
珠洲さんがやっと言葉を発した。
久し振りの声は記憶通りの声だった。
今まで劣化していた過去の感覚が急速に鮮明さを取り戻す。
涙腺が緩むし顔が熱くなる。
詰まる所、だらしない顔になっているはずだ。
「珠洲さん…」
珠洲さんに習い名前を口にした。
割りとするりと出た言葉に重さは伴っていない。
それどころか暖かみを飽和させてさえいる。
さっき吹っ飛ばされたと言うのにそれすらも許容して好意を向けてしまうなんて、本当に俺は惚れているようだ。
俗に言うぞっこん、だな。
俺と珠洲さんの距離は目算で3メートル。
見たところ珠洲さんは中学時の制服姿のままだ。
鞄が見当たらないが、そう言えば珠洲さんを殺した後形見として俺が持って帰ったんだっけ。
服はきちんとしてしていて汚れや乱れはない。
血色は良好、髪の艶や潤いも上々、俺が最後に記憶している完璧な珠洲さんと瓜二つ、いや、同じだ。
唯一上げるとすれば。
「何で影がないんですか?」
今この場に居る珠洲さんには影がなかった。
電灯が後ろにあるのに、その足元には何も無かった。
珠洲さんには影が無い。
でも珠洲さんはここに居る。
俺はあるひとつの可能性を思い付いた。
「まさか、やっぱり幽霊?」
「さっき私は荒城さんに触れましたよ」
丁寧な訂正を受けてしまった。
ソウデスヨネー、と罰が悪くなった。
無い脳味噌から捻り出そうとしたが、無理そうだ。
「私も、正直わかりません」
珠洲さんは左手を胸に当てて俯いた。
そこには確かペンダントがある筈。
そして、俺が刺した場所。
刺すときに何処を刺せば良いのか分からなかったので、目についたソコを刺した。
俺はそのペンダントが憎らしく思っていたのも理由のひとつだ。
「私はあの時…死んだ筈なのに」
僅かながら死を口にするときに間があった。
やっぱり珠洲さんも人の子だなぁ、とアホな事を考えた。
表情が読みづらい珠洲さんだけどもここまで分かりやすく表現するほど、死は恐ろしいものなのだろう。
悪いが死ぬ様な目にあった事が無かったので良く分からない。
以前誰かが「お前は本気に見せているようで全く本気にはなっていない。ただそれとなくやっているだけで、頭の中では別の事を考えている。間違いなくお前は《読者》だな」と自信満々に話していた。
誰だったけ?
確か、よく俺にちょっかいを出して来る江口(♂)だったっけ。
まぁ、良いっか。
その時は「はぁ」とか「そうですか」とそれとなく返事を返していたが、今ではその意味が良くわかっている。
だって、目の前に自分が殺した好きな人が居る状況でも俺は危機感を持つ事が出来ないから。
悪魔で珠洲さんと再会したと言う現実しか俺には見えていない。
たぶん俺は死ぬ間際まで余計なことを考えて居るに違いない。
「荒城さん……私は死にましたよね」
俺が刺した場所に手を当てて、珠洲さんは俺に訊ねた。
態となのかは分からないが、『俺に殺された』とは言わなかった。
「えぇ、俺が殺しました」
俺は珠洲さんが好きだ。
それは変わらない。
でも、好きだから殺す事とは一ちょ寸っと違う。
それはそれ、あれはあれだ。
殺して、俺の日常から色が無くなったのは意外だと思った。
でも、それだけ俺が珠洲さんを好きなんだなと思ったら、俺は珠洲さんを殺した自分も好きに思えた。
俺は珠洲さんが好きだから俺なんだ。
その考えだけで俺は生きている。
「そうですか……」
それっきり珠洲さんは俯いて無言になってしまった。
珠洲さんの後ろにあった電灯は切れかかっているのか、時々辺りに闇を提供していた。
昼間の温かさが底を尽いたのか少し身震いする。
通行人は誰も居ない。
普段なら会社帰りのサラリーマンが足早に通りそうなのに運よく誰も居ないし来ない。
頭の隅では不思議だと思いつつも目の前の珠洲さんに集中する。
「珠洲さんは、今まで何処に?」
このままでは埒が明かなかったので俺から切り出した。
珠洲さんは思考のループから浮上したのか顔をアスファルトから俺に向けた。
「わかりません。死んだ後、気付いたらこ此処に」
「その他には?」
「何も……」
珠洲さんは頭を振ると辺りを見回し始めた。
どうやら時間が知りたいようだ。
俺は携帯電話の待ち受けを見ながら「8時過ぎですよ」と答えると、珠洲さんは「ありがとうございます」と小さく答えた。
そこから俺と珠洲さんはまた沈黙。
ずっと何もしないし話さない。
ここは、仕方がないか。
男だし、今では珠洲さんと同い年だし、多分。
俺は歩いて珠洲さんの手をとった。
珠洲さんは一瞬驚いて引いたが、直ぐに理解したのか力を抜いた。
俺達は手を繋いだまま夜の住宅街を歩いた。
繋がれた手から、珠洲さんが生きている証である温かさを感じた。
◆◇◆◇
ガチャリと鍵を開けると家の中からは暑い熱気が襲ってくる。
僅かながら知っている匂いを熱気の中から感じ取った俺は、珠洲さんの手を掴みながら入ってい行った。
玄関で靴を脱ぎ、そのまま直進。
左側に1つだけある扉を開ければ、更に蒸し暑い熱気が襲って来た。
尚なおもその部屋に入ろうとすれば、目の前のソファに男が座っていた。
後ろ姿しか見えないが、その姿には嫌と言うほど見覚えがあった。
「何のつもりですか?」
冷ややかな視線をその人に向けるが、その人は此こち方らを向かず無視を決め込んでいる。
「今日、俺の回りで人避けしてましたよね」
応えない。
「だからクラスの奴等、放課後になった途端に教室から出て行きましたよ」
無言。
「でも、多前門先輩には効きませんでしたよ」
「マジで!?」
「マジだよ!!」
鞄を顔面に叩き付けてやった。
珠洲さんが吃驚したのが繋がれた手を伝って感じた。
「あれ、居たんだ」
まるで今まで気が付かなかった様な素振りだ。
顔面に当たったと思った鞄は、ご丁寧に持ち手の所を片手で掴まれていた。
因ちなみに、もう片手には最新の携帯端末が握られて居た。
一歩前に出てソファの向こう側を見れば、テーブルの上にはどれも会社が違うが最新モデルと云う単語が頭に付きそうな物が4台も置いて在った。
不覚にも一個寄越せと思ってしっまた。
「居たんだって、ここ俺の家なんですけど」
「うん知ってるー」
さも当たり前と言う様に目の前の男、杞き憂ゆう村むら雨さめは言ってのけた。
「いい加減殺してやりましょうか?」
そろそろ我慢も限界に近づいて来たんだが。
と言うか、最近鍵変えたのに何でこの人がこうも易々と此処に居るのかが不思議で堪らない。
「来るのはこの際どうでもいいですけど、帰ってくれませんか、杞憂さん」
そして二度と来るな。
「なんで俺には《杞憂さん》なのに、彼女には《多前門先輩》なんだよ」
良い年した男が口を尖らせて居るのだが全く可愛くない。
というか、気持ち悪い。
「貴方と先輩とでは扱いが違います」
俺の目の前にいる人は、杞憂村雨は多前門先輩と同じく《異世界人》だ。
まぁ、多前門先輩とは違う世界だから直接的な関係はないのだが、この人も二年前のあの日に呼び出された者のうちの一人だ。
先輩とは違い、飄ひょう々(ひょう)とした性格で何時も人を小馬鹿にしたような喰えない男だ。
年齢さえわからないし、ひょっとしたら俺よりも若かったりして。
それに、この人は俺達の知られたくない事を多く知っている。
だからあまり好かない。
「あっれ~?」
杞憂さんはソファーから手を伸ばすと俺の隣を指差した。
その顔は面白いモノでも見つけたかの様に薄っすらと笑って居た。
「女の子を家に連れ込むとかやるねぇ~」
「黙れ勘違い男」
即座に否定したが、杞憂さんはクスクスと笑うと手を叩きながら立ち上がった。
そして、此方に近付いて来た。
「そっかそっかぁ~。まぁ、そんなことどうでも良いけど」
「っ!」「なっ!?」
「お久し振りかな?《天才》の源川珠洲ちゃん」
杞憂さんは珠洲さんの頭を手でガッチリと鷲わし掴づかみすると、前屈みになって目線を珠洲さんに合わせた。
「…知ってるんですか?」
「無論、勿論、知ってるよ。君が殺した娘こでしょ?」
やっぱり知ってたか。
杞憂さんがこの事を知っているのはこの際置いといて、珠洲さんの事を知っている様な口くち振ぶりが気になった。
もしかしたら珠洲さんについて何か知っているのかもしれない。
「あの、この方は……」
珠洲さんが俺の手を引きならが言う。
その角度だと俺よりも背が低い珠洲さんは必然的に上目遣いになるので、また顔が熱くなってきた。
「おーい。一人で盛り上がるのは良いけど、俺の事紹介してくんない?」
黙れ不法侵入者、警察に突き出すぞ。
さて、珠洲さんが穴が開くほど俺に上目遣いを向けてくるから早く言わなければ。
「あ、え~と。この人は俺の先輩で3年の杞憂村雨さんです」
「…………だけ?」
杞憂さんが驚いたように言った。
生憎だが俺の中にはこれ以上杞憂さんを説明するだけの単語は持ち合わせていない。
「あえて言うなら情報マニアの変態です」
「否定しないけど酷くない?」
「そうですか。否定しないんですか。気持ち悪いですね。消えてください」
「君のその偽らない正直さは気に入ってるけどそれは流石に酷くないかな」
一々煩い人だ。
俺から紹介しろと言ったのだから、多少俺の偏見や私情を挟んでも良いだろうが。
「そんなに文句があるなら杞憂さんが直々に言ってくださいよ」
「情報屋家業を生業としている杞憂家の生き残り。神出鬼没の美青年」
「脚色や美化が酷すぎて後半が笑い話にすらなりませんね」
美青年って正気なのか?
本気で言ってんのか?
あはは、ちょっと辞書で調べてみようか。
「はぁ、君を相手にしても暖簾に腕押し、糠に釘だよ。のらりくらりとして全然手応えがない」
「なら帰ってください」
割と本気で帰ってほしい。
そういう思いを込めた目線で睨めば、通じたのか杞憂さんが前屈みの姿勢を正した。
「今日はそうするよ。気になる女子の顔を拝めたんだからさ」
「帰れ」
それだけ言うと、杞憂さんは窓を開けて帰っていった。
あの人、土足で家の中に居たんだ。
学校で会ったらシバこうか。
てか、あの人何で珠洲さんが俺の家に来るってわかったんだ?
◆◇◆◇
忘れちゃいけないのは、この空間には《殺人者》と生き返った《死人》、この世界の人ではない《異世界人》が同じ部屋の中にいたのだ。
何もないわけが無い訳が無いだろ。